京都市・乙訓地域を拠点に日夜奮闘中! 岡 本 忠 藏 ( おかもと ちゅうぞう )
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| - | 2023.04.22 Saturday | - | - |
プロフェッショナル。
先日、自分の子どもの病気と手術について書きましたが、今回は医師についてです。京都府立医科大学付属病院で我が子の手術をお世話になったのは小児心臓血管外科の山岸正明先生と山岸先生が率いられるチームでした。

10年前、子どもが10ヶ月の時にお世話になった時も、おそらく日本でこの手術ができるのは山岸先生だけだろうと聞きましたし、事実、世界初の症例ということで新聞にも掲載され、学会でも報告されたようです。そのことにも驚いたのですが、それよりも、手術を成功させるため、患者のために、とことんまで追求する姿勢に本当に身震いしたことを覚えています。自分の最高の仕事をすることはもちろん、チームの人たちにもとんでもないパフォーマンスを要求し、必要なことはどのような無理難題でも妥協を許さず必ずやらせるのだそうで、周りがついていくのが大変な場合もしばしばあるそうです。

手術室に入ってから13時間たって、連絡をもらってからNICUに入り、まだまだ今からいくらでもいける、というオーラをビンビンに出された山岸先生と、疲労困憊でクタクタになった後ろの先生たちの様子を今でも鮮明に覚えています。ああ、困難極まりないすさまじい手術だったんだなと実感した時でした。

その後も時々は府立医科大学病院には行っていましたので、手術から数年たっても、周りの看護師さんたちや若い医師たちからも『あの時のことは覚えている』と聞いたと妻が私に話してくれました。手術に直接関係なかった医師からも、『あの時は、事情はよく知らないけれども今から大変なことが始まるんだなと先生たちを見ていて感じた。見ていて怖かった。あの時の子かぁ。』と聞きました。

今回の入院で掃除のおじさんとも10年ぶりに会いました。あの時すでにおじいさんでしたが、今も現役で、私たちのことを覚えてくれていました。あの後もあれほど長い手術はなかったということです。

今回の手術でも、先生のそのプロフェッショナブルな場面を垣間見ました。前回の時は全力を尽くせた、完璧!という雰囲気でしたが、今回は手術が終わってすぐの状況説明を聞いた時も厳しい表情をくずされず、また話の間に2〜3度深いため息をされました。他の先生方とのやり取りや看護師さんたちの雰囲気を見て、緊急事態であるかのようなことはなかったので、おそらく先生の中で納得できなかった何かがあったんだろうなと直感的に思いました。

そんな医師から、今後の医療、医師の育成の困難さなどのお話を伺ったことがあります。政治の側から、医療現場を守ってほしいと。我が子の命を救っていただいた方からの言葉であるからこそ非常に重く、本当に自分がそんなことを背負えるのだろうかと今でも胸に突き刺さっています。

JUGEMテーマ:手術
 

| あんしん・あんぜん | 2011.12.31 Saturday | comments(0) | trackbacks(0) |
一時退院しました。
先ほど子どもが無事、一時退院できたので自宅に連れて帰ってきました。付き添いの妻と我が子にとっては、実に4週間ぶりの帰宅となりました。

手術をしたのは12月8日のことです。前回は、10ヶ月の時の手術でしたので、体の成長に合わせて動脈も成長してほしい、という考えのもとの手術でした。肺動脈とともに身体の3分の1もの大動脈を広げる手術をお世話になり、おおむねいい感じに成長してくれたらしいのですが、、血圧が高いということで8月にカテーテル検査を行ったところ、10年前に広げた大動脈のうち、ホモグラフト(亡くなった方からいただいた血管)を100%使用した箇所が石灰化して血液の通り道を塞いでしまっていることが判明しました。それを治療するためには手術しかありません。説明を受けた時から、また大変なことになるな、という自覚を夫婦で抱きました。また心臓には4つの部屋があって順に血液を送っているのですが、弁に不具合があって逆流しているということで、2つの弁の治療も併せて行うということでした。心臓にもメスを入れることになります。

執刀医の先生方からの受け売りですが、何が大変かというと、大動脈の石灰化した箇所を取り除き、人工血管に置換するという手術そのものもそうですが、最大の敵は、一度手術しているが故の『癒着』です。一度手術をすると、メスを入れた断面はがっちりくっついてしまい、容易には分離できません。同じ箇所の治療ですから、そこにたどり着くために、その癒着した箇所を丁寧に切り進んでいかなければならないそうです。手術の前から、癒着したところをはがすのに相当時間がかかるということを、何度も何度も聞かされ、私たちもそれ相応の覚悟をもってその日を迎えました。

その日の朝、先生方の回診の時間が始まるまで、7時ごろに京都府立医科大学附属病院の小児医療センターに行きました。山岸先生と医師団がいらして、10年前の手術の日の朝と同じように、すでにギンギンの戦闘モードに入っている先生に、よろしくお願いします、と頭を下げました。オペ室に入っていったのが午前9時15分くらい、その間はとにかく家族室でひたすら連絡があるのを待ちました。手術は8時間くらいと聞いていましたが、実際に声がかかって子どもに会えたのが19時35分、実に10時間後でした。

その後も合併症に悩まされ、多くの方々に支えられながらも、我が子はもちろん、特に付添いの妻にとっては大きな負担のかかる入院生活でした。

手術後のその夜に、2回痙攣をおこしました。この場合に想定するのは、手術中に血管に空気が入ってそれが脳の血管をふさいだか、石灰化した血管のかけらが脳に飛んで血管をふさいだか、ということです。いわゆる脳梗塞です。朝になってそれを聞かされた時は頭が真っ白になりました。半日動揺が収まりませんでしたが、MRIの結果、それは大丈夫であることが分かりました。

その次に出てきたのは感染症です。こちらの治療にも時間を取りました。その間、相部屋ですし、入れ替わり赤ちゃんが入院してきたりして夜中もなかなか寝付けなかったようで、妻にとって、そういう毎日の疲労が蓄積する4週間でした。

今日の血液検査の結果で、退院できるかもう少し入院せざるを得ないのかが決まったのですが、どうやらお正月は家で過ごせそうだと分かったのは午後になってからでした。ただしまだ水分制限もありますし、発熱したら夜中でも京都まで走らなければならないようです。ただひたすら家に帰ることができるという解放感を味わいながら、わが子に『今日は何が食べたい?』と聞いてラーメンを食べることになり、二条駅近くの天下一品に立ち寄りました。

ざっと一連の流れを書き綴りましたが、いろんな気づきや学びもありました。また改めて書いてみたいと思います。とにかく無事家族を連れて帰ってくることができて、安堵した一日でした。ご心配をおかけしたみなさま、お気遣いいただいたみなさま、お世話になり本当にありがとうございました。

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| 家庭 | 2011.12.28 Wednesday | comments(4) | trackbacks(0) |
雪かき。
舞鶴市は今も雪が降っています。 思えば今年は冬の備えがずいぶん遅れてしまいました。秋の衣替えもなかなかできず、冬服を出してこられたのも11月下旬、マイカーをスタッドレスタイヤに交換できたのは先週、ヨメのタイヤにいたっては12月23日、舞鶴ではふた雪くらい降ってからとなってしまいました。それでも今回の寒波にはギリギリ間に合って、やや心のゆとりを持ちながら雪を迎えられる気分です。

言い訳にしかなりませんが、質も量も例年とは忙しさがまったく違うと感じていまして、ありがたいことと思います。そんなわけで自分のことがちょっとずつちょっとずつ後回しになり、冬支度もこんな状況になってしまっていました。

昨日の夕方に玄関先の、やや寝雪になってしまった重い雪をどかしましたが、朝起きるとまたすっかり15cmくらいの雪が積もっていて、もう一度雪かきです。新雪なのに重いのは、まだ寒くなり切っていないからで、今、夜の所用までに少し時間があるので一度家に帰ってきてこの記事を書いているのですが、日が落ちてぐっと冷え込んできました。明日の朝にどかさなければならない雪は、もしかしたら今日のよりもずっと軽い雪になるのかもしれませんね。

この季節になると、雪に関する陳情・要望をいただくことがままあります。
主要国道でしたら国土交通省が、一般国道や都道府県道は都道府県が、そして主要な市町村道は市町村が除雪のための建設機械を走らせ、対応します。しかしそれ以外はと言いますと、地域住民に委ねられています。私は基本的にこれでいいと思っていますが、問題は高齢化です。

理論上は、すべてのおうちが自分の家の前を雪かきしてくれれば、その道路は全体として雪がどかされた状況になります。しかし朝早くから出勤されてそのままの状態になることが多くありますし、お年寄りの家庭の場合、雪をどかすことができない場合もよくあります。そういうとき、うちの町内は高齢者ばかりで雪をどかせないから行政で除雪してほしい、というご相談を今までにいろんな地域から何度もいただきました。

結論から言うと、ほとんど対応できていないのが実情です。ここは実施してここはしない、というわけにはいきませんから、行政サービスで行うとするととんでもない除雪費となることは明白だからです。しかし除雪できないことも理解ができる、ですのでいつも、別にどうしても雪かきしなければならないわけではないので、ご無理な場合にはそのまま放置しておいてください、と申し上げることになります。

毎年雪が降って最初の雪かきをすると、いつもこのことが頭に浮かびます。高齢化問題というのは、こうしたところにも影響が及ぶのです。

JUGEMテーマ:除雪

| あんしん・あんぜん | 2011.12.26 Monday | comments(0) | trackbacks(0) |
12月の関西広域連合に関する特別委員会で。
先日の京都府議会の『関西広域連合に関する特別委員会』の時にはこのような意見を申し上げました。

実は12月10日(土)ですが、関西広域連合議会の総務常任委員会が京都府議会の大会議室で開催されました。関西広域連合の開催は、所属府県を輪番で回しており、今回は京都府の会場で行われました。このときの議題は『広域観光』と『広域医療』です。私は傍聴席でその様子を拝見していました。

そこでのことなのですが、ドクターヘリの共同運航について、ある議員から苦言が出されました。しかし私からするとあまり賛同できない内容のもので、理事者からしっかりとした反論をしてほしかった。ところが広域医療担当事務局の徳島県からは明確に答弁が出ない感じだったので、すかさず京都府から救いの手が出て、さらにドクターヘリを運航する公立豊岡病院の地元の兵庫県議からも重ねての意見が出て、一応形はつきました。
そんなわけで、確かに現時点では関西広域連合のドクターヘリは徳島県をカバーしていないのですが、広域医療の事務局である以上、関西全体の広域医療の掌握ぐらいはしてほしいという意見を京都府議会の特別委員会の場で要望しました。

もう一つは関西広域連合議会の総務常任委員会で冒頭に議長が言われたことなのですが、今日は新しい大阪府の松井知事のあいさつや広域連合委員会などが後の時間で開催されるために時間が限られているので議事運営にご協力を、ということでした。確かに1時間半くらいで委員会は終了し、松井大阪府知事が見えて広域連合議会にあいさつされ、私も『この人が松井さんかぁ・・・』という感じで見ておりました。

ただ、やはり私は知事たちの都合で議会の議論が制約されることはおかしいと思いました。二元代表制の中で知事と議会は対等のはずですし、関西広域連合の設立を主導したのは他ならない知事たちですので、当然、議会にも積極的に出てきてもらってしかるべきだと思います。その要望も併せて府議会の特別委員会で申し上げ、ご理解をいただけたのかなと感じています。

関西広域連合議会はこの1年を見ていて急激に成長しているように感じます。夏の議会では常任委員会を設置し、また各府県議会の代表者たる連合議会議員がこまめに議論できるよう理事会も立ち上げ、我々一般の府県議会議員への情報提供も随分と流れがよくなってきました。
今後ますますたくさんの施策を展開していくことが予想されますので、議会側も議論をさらに深められる体制づくりをさらに強めていっていただけそうです。

JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
 

| 京都府議会 | 2011.12.21 Wednesday | comments(0) | trackbacks(0) |
京都マラソンについて。
来年の3月11日(日)に第1回目の京都マラソンが開催されるということで、今、準備が進められています。その主催は京都市などで、1万5,000人ものランナーの募集と抽選など、表側では楽しい話題で盛り上がりつつあるようです。
ただ京都市などの主催する一大スポーツイベントの裏側で、私は少なからずの心配することがあり、そのことを京都府議会の警察常任委員会で取り上げました。それは渋滞緩和対策と安全対策です。

まず9月定例会の警察常任委員会のときには、準備は遅れていないか?万が一にも不測の事態が起きた時にはしっかりと対応できる体制作りは進んでいますか?という質疑をし、京都府警の理事者側もしっかり指導していきますということでお答をいただいていました。

しかし先月(11月)下旬の新聞記事により、京都市と京都府警による『京都マラソン交通対策調整会議』で交通対策基本案を11月中に完成させるということを目にしましたので、その進捗を先日の警察常任委員会でお尋ねしますと、まだ完成した交通対策基本案が京都市から提示されていないということが分かりました。約束からおよそ半月も経過しているにもかかわらず、です。全く京都市のと協議がないわけではなさそうですが、しかしそれにしても対応の遅さがとても気になります。

なぜ遅れているのかを京都府警に聞くのは当事者でもないのに気の毒なことだったのですが聞かずにはいられませんでした。本来、京都市は行政機関しかも政令市なのですから計画の策定や文書作成能力は格段に高いはずです。しかしそれがこれほど遅れてしまっている。しかもその理由はなぜかの説明があるわけでもない。これでは、京都マラソン開催時の交通安全対策が行き詰ってしまっていて対応が困難な状況にあるか、京都府警が軽んじられているのか、うがった見方をしてしまいかねません。まさか、なし崩し的にしっかりとした安全対策が講じられないまま開催を無理強いされるなんてことはないでしょうね、とクギを刺させていただいて、しっかり京都市に対応させる旨の答弁をもらいました。他の会派の議員さんからも、万が一ずさんな計画しか出てこなかったらどうするんですか?と私のフォローもいただきました。

京都マラソンは風光明美な京都の市内一円を走るコースです。そのコースの中には複線の基幹道路であって十分に幅員の取れる個所もあれば、片側一車線で窮屈な個所も多々あります。入りにくい場所で地域住民に対する救急車の出動やランナーの体調不良による救急搬送など、当然想定しなければなりませんし、42.195kmのいかなる場所でも様々な想定に基づいての訓練も来年になれば重ねていかなければなりません。素晴らしいスポーツイベントを開催しようとするならば、その陰で大変な努力が必要なのであり、この京都マラソンに限っていえば、京都市のそうした丁寧さと綿密さと必死さがいまいち伝わらないという印象を私は抱いています。京都府警には御苦労ですが、開催のための必要なことはしっかり京都市との協議を積み重ねていただき、さまざまな想定や訓練を重ねて役割を果たしていっていただきたいです。

JUGEMテーマ:マラソン大会 〜Marathon〜
 

| まちに元気を取り戻そう! | 2011.12.15 Thursday | comments(0) | trackbacks(0) |
稲田朋美 衆議院議員@自民党京都府連 青年政治大学校
h231203:稲田朋美 代議士
自由民主党京都府連 青年政治大学校に、福井1区の稲田朋美 衆議院議員を講師にお迎えしました。知る人ぞ知る、自民党きっての保守論客です。野田内閣の危うさを鋭く指摘されました。

JUGEMテーマ:自民党(自由民主党)
 

| Photo Album | 2011.12.03 Saturday | comments(0) | trackbacks(0) |
東北へ。
28日(月)から30日(水)の日程で東北を回ってきました。
目的は二つありまして、まず一つ目は私が所属している林英臣政経塾が運営している政治家天命講座というものがあるのですが、その第7期の塾生をスカウトするためです。 これまで政治家天命講座は関東(東京)・関西(京都)・九州(福岡)の3拠点で開催してきたのですが、塾勢が拡大してきたためにさらに広く人材を求めて、東北(仙台)と中四国(広島)を合わせて5拠点開催をすべく、現在個別に受講してくれる人材を集めており、ほぼその選定作業を終えたところです。

林英臣政経塾の公式サイトはコチラ。
http://www.hayashi-hideomi.com/seikeijuku/

ただ新設の東北講座と中四国講座はまだ最終確定には至っておらず、しかしこの3日間で東北を回り、私自身の思いや熱意、そしてあなたと一緒にやりたい!という気持ちを伝え、正面から受け止めていただいたと思います。今回のスカウティングにより、東北講座の塾生のラインナップはほぼ確定できました。
まず第一の目的はほぼ達成できたと考えています。

次に二つ目の目的は、東日本大震災を受けて、その後の被災地に様子を垣間見ることと、東北地方の被災地の議員や復興支援に関わっている議員さんに会い、現状や今後の見通し、そして我々が防災に関してどんなことを取り組むべきか考えることでした。お会いしたのは、酒田市議・仙台市議・塩釜市議です。

本当に長い時間を取っていただいたのですが、特に強く問われたのが、『議員として何ができるか考えなさい。』ということでした。確かにボランティアをして炊き出ししたり瓦礫の片づけをしたりすることも大切だが、根本的にはそれは議員としての仕事ではない。議員でなければできないことを考え、実践すべきであるという教えをいただきました。そのいくつかを挙げますと、

(1)災害対策会議には議会も参画すべき。
行政が現場からの情報を吸い上げることは限界があるし、会議で決まったことや流された情報が自動的にすべての議員に流れていく仕組みを作っておかないと即座の柔軟な行動を各議員や地域ができない。

(2)防災協定がどんな内容になっているか再点検すべき。
東北の場合、仮設住宅に関しての防災協定に基づいてハウスメーカーから提供を受けたのですが、詳細はここでは書きにくいですが不具合があったり柔軟な対応が難しいようで、そうしたところもこれからの防災協定のために生かせてほしいと具体的な事例も含めて教えてもらった。

(3)いじめがある。
子どもたちだけでなく、大人社会にもあって、例えば被災地から離れた地域に避難している住民に向かって『放射能がうつる』と忌み嫌われたり、駐車場にとめていた福島ナンバーの車に戻ってみると、『帰れ!』とか『なぜこんな所にいるのか。』などと落書きをされたりすることが頻発しているのだとか。根拠のないいじめにどう立ち向かうか、京都ではそういう事例が本当にないか確認すべきではないか。

京都府は現在防災計画を見直し中ですが、以上の3点は全く頭になかったのでまさに目からうろこでした。
また仙台市の海沿いを見て回りましたが、瓦礫はかなり片付けられているものの、それでも地震と津波の爪痕は生々しくうかがえます。たくさんの建設機械やダンプが入って瓦礫の集積と運搬を行っており、また道路に電気を通すための作業と合わせ、新設の信号機を徐々に建てている作業をしているところも見ました。私が東北に前回入ったのが6月でしたが、その比較もでき、当り前ですがまだまだ復興への道のりは長いことを実感しました。

明日にでも調べられることもあったので、すぐに行動しようと思っています。さまざまな意味で実りの多い東北行脚でした。


| あんしん・あんぜん | 2011.12.01 Thursday | comments(2) | trackbacks(0) |
 
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