京都市・乙訓地域を拠点に日夜奮闘中! 岡 本 忠 藏 ( おかもと ちゅうぞう )
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| - | 2023.04.22 Saturday | - | - |
地域医療の今後のためには。
前回の記事で多々見市政の舞鶴の地域医療に関する中身の薄さと進め方のずさんさを指摘しました。
その最たるものが、先日、舞鶴市議会で発表した舞鶴市民病院の方向性ではないでしょうか。

私はもちろんその場にはおりませんし、新聞記事を見たり市議さんたちから伺った話にすぎませんが、しかし舞鶴を中心に中丹地域の医療をどうやって守っていこうかという京都府の施策に関わっている者として、本当にハラハラします。

まず、私は舞鶴市民病院が療養型に特化することを地域医療全体を見たときにあまり重要視していません。今の地域医療の問題の根幹は医師不足であって、どうやって救急医療などの二次医療を確保するのか、ということが至上命題ですから、慢性期はそれに付随する問題だと私は捉えています。

また前回の関係者会議の時に多々見市長さんに課せられた宿題は以下の3つです。
(1)どの医療機関にどの診療科を持たせるということや病床数、財政計画などが定量的に示された全体計画。
(2)『舞鶴地域医療連携機構(仮称)』なるものが機能するためにはかなりの権限を持たないといけないが、どのようにして権限を持たすことができるのか具体的に示すこと。
(3)舞鶴市から提案のあった寄付講座の開催がどのようにして医師確保に直結するのかの具体的に説明すること。

舞鶴市議会で示された市民病院の方向性は、どれにも合致していません。早急に先日指示された宿題の答えを提示し、開かれた場で具体的な議論に入らなければいけないのですが、それがいつ出てくるのか、本当に出せるのか、現時点では全く不透明です。
その段階でこのような各論だけを議会に報告することが私には理解できません。何事も、全体の大きな樹があって、その樹に枝を広げて、葉を茂らせるのが本道だと私は思います。

今は各医療機関や関係者は大人の対応を取っていただいていますが、舞鶴市の地域医療を守っていくためにはそういう人たちの深い理解があって進んでいくのですから、丁寧に、そして誰が見ても納得できる内容を提示する努力を怠ってはいけません。今の多々見市政はそれが決定的に欠けています。

JUGEMテーマ:医療崩壊

| あんしん・あんぜん | 2011.06.29 Wednesday | comments(1) | trackbacks(0) |
中丹地域医療再生計画に係る関係者会議。
先週6月17日(金)のことですが、京都市内のホテルで舞鶴市の公的病院の再編を核とした『中丹地域医療再生計画』の今後の計画の修正や実行について話われる会議があり、傍聴してきました。会議の出席者は、呼びかけ人である京都府からは山内副知事・健康福祉部長、国立病院機構からは近畿ブロック事務所統括部長、日赤からは日本赤十字社京都府支部の事務局長、国家公務員共済組合連合会からは旧令病院部長、というそうそうたるメンバーで、舞鶴の地域医療の今後のために議論のテーブルにつかれ、そんな中で舞鶴市の多々見市長や病院事業管理者が舞鶴市の案を示す、という場が設けられたのでした。

その舞鶴市の見直し案ですが、示された内容はおおむね以下の通りです。
(1)各病院の特徴的な機能の充実と強化を図る。医療センターは脳卒中センター機能を、共済病院は循環器センター機能を、舞鶴日赤病院はリハビリセンター機能を、市民病院は療養型に特化。
(2)互いの連携の強化を図る。そのために『舞鶴地域医療連携機構(仮称)』を舞鶴市が主体となって設置する。

逆に言えばわずかこれだけだったので、会議におもむいた各医療機関の代表者は皆一様に首を傾げだしました。
まずそもそも論として、定量的に内容が示されておらず、診療科や病床数がはっきり示されないと議論ができない、という意見が矢継ぎ早に出されました。京都府の現在の計画と比べても舞鶴市の案が全く追いついてきておらず、また国から府が積んだ25億円の基金の財源配分も出ておらず、何をどうしたらよいのか議論のしようがないということでした。

またこれをすることによって根幹の問題である医師不足をどのように解消していけるのかという道筋が全く見えないという意見や、まずは地域医療をどうするのか、その根幹をなす救急や小児医療をどうしなければならないのかという視点が欠けているという意見、また『舞鶴地域医療連携機構(仮称)』は実際にどれくらいの権限が持てるのか不明だ、ここが相当の権限を持たないことには運営などできないが本当にそのようなことができるのか、という意見、さらには府立医大の支援で寄付講座を開設するという市の案に、一般に寄付講座とは資金をどこからか出してもらって先進医学を研究し、その成果を地域に還元していくものだが、これがどのようにして医師確保につながっていくのかが理解できないのでロジックを示してほしい、という指摘もありました。

逆に多々見市長の案を評価する意見は全くなく、傍から見ていて、これだけの面々に集まってもらっていながらまったく具体性の欠く案で今日を迎えることの中身の薄さに私は今後の不安を大いに抱かざるを得ませんでした。

結局なにも進まず、会議の参加者から舞鶴市に対して次の会議までに早急に準備するようにという宿題を出される形で会議は終了しました。その内容は、
(1)定量的な内容になった計画案の提示。
(2)『舞鶴地域医療連携機構(仮称)』がどのようにして医療連携を行っていけるのか、その権限をいかにして担保していけるのかという具体的な説明。
(3)寄付講座を開設することによってどうして医師確保になっていくのか、資料提供を含めた道筋の説明。

翌日の新聞各紙にもこの件は大きく取り上げられていましたが、どれも舞鶴市の状況認識の甘さを暗に指摘している内容でした。

あともう一つ気がかりなことがあります。それは、この日の会議に配布される資料が新聞記者さんたちには事前に配布されているにもかかわらず、地元の舞鶴市議会にも、私たち地元選出の府議にも事前の説明がなかったことです。どんな計画であっても議会の承認は避けて通れませんし、ましてや地域医療の問題は京都府が主となって取り組んでいく性質のものですので舞鶴市から府議会への協力要請があって普通だと思うのですが、私たちの存在は今のところ重視されていないようです。議会軽視はつまり市民軽視と言えます。

計画の内容の薄さにも大きな懸念を抱いていますが、物事の進め方にもずさんさが目立ち、今後の多々見市政はそういうことも各方面から問われていくことになりそうです。

JUGEMテーマ:医療崩壊 

| あんしん・あんぜん | 2011.06.22 Wednesday | comments(5) | trackbacks(0) |
ハッピー・バースデー。
10歳の誕生日ケーキ
2日遅れですが、昨夜、息子の誕生日会をしました。といってもケーキを食べただけですが・・・。
障害があって世界初の症例の手術をしたこともあり、いったい何歳まで生きられるのかが分からないので、私たち夫婦としては10歳を迎えたわが子に『1/2成人式』のつもりでお祝いをしました。
今、おかげさまで元気いっぱいですが、これからもずっと私たちの太陽でいつづけてもらいたいです。
10歳の誕生日、おめでとう。

JUGEMテーマ:家庭


 

| Photo Album | 2011.06.15 Wednesday | comments(2) | trackbacks(0) |
ボランティアに参加しました。
3月11日の東日本大震災からおよそ3か月。スケジュールをやりくりして、復興支援のためのボランティアに参加してきました。日程は、6月8日(水)出発、12日(日)帰宅の5日間です。

[6月08日(水)]

女性陣との昼食会を終えた後、福島県いわき市に向けて出発しました。マイカーに備品などを積み込み、単身で向かいました。いわき中央I.C.で下車するのですが、その最も近いパーキングエリアで駐車し、寝袋にくるまって車内泊です。到着は午前1時半ごろでした。

[6月9日(木)]

いわき市のボランティアセンターの受付は9時からと聞いていたのですが、気がはやって8時前には到着していました。少し周囲を散策し、戻ってきたらぞろぞろとボランティアらしき人たちが集まってきて、8時半ごろには賑やかになってきました。
初日のこの日は下神白(しもかじろ)の民家のがれきの片づけで、十数名で現地に向かいました。津波に襲われ、1階の壁が軒並み崩れていたのを運び出し、ごみ集積所へ運搬しました。崩れた壁は重い!しかしこの日のうちに屋内の床上はほぼ片付き、きれいにできたと思います。おうちのご主人から最後にお礼のご挨拶をいただき、『頑張ってくださいね!』と言うと涙ぐみながら何度も何度もお礼を言っていただきました。

同じ作業をしていた人からごみの集積所もすごいと聞いたので、作業を終えてから車を走らせて現地に行ってみました。私の身長の何倍もある高さに積み上げられた瓦礫の山・山・山。このごみはこの後の行き先はまだ決まっていません。

[6月10日(金)]

この日は合磯の水産加工工場のがれきの片づけです。こちらも十数名で活動しました。特に海砂が押し寄せていて、ただ詰め込むのなら楽なのですが、砂・木屑・金属・石ころ・瓦、と分別しなければならず、作業はとても負担の大きなものでしたが、お互いに励ましあったり冗談を言い合いながら明るい雰囲気で作業を進めることができました。私が来る何日も前から作業が続いてきているようでしたがこの日でも終わらず、次の日に引き継がれていきました。

作業が終わった後は、できるだけ原子力発電所に近づいてみようと思い、国道6号を車を北に走らせました。サッカーのJビレッジで警察に止められましたので、広野町の海沿いの集落に入ってみて、その惨状に息をのみました。

[6月11日(土)]

3日目は直接に津波を受けていない地域で、しかし小屋が傾いて解体せざるを得ないお宅に行き、その内部の片づけと清掃を行いました。3週間もの間かわるがわるにボランティアが片づけていき、私たちのこの日の作業で完成しました。この日は初めてグループリーダーを務めました。

作業終了後は特に壊滅的な被害を受けた地域に行ってみました。言葉が出ません。快晴のもとでのこの景色は何と表現してよいのかわかりません。今日見た風景を絶対に忘れるまいと強く思いました。そして郡山市に移動し、宿泊しました。

[6月12日(日)]

京都府の職員さんたちが郡山市と会津若松市の避難所に応援に入ってくれているので、激励の意味を込めて表敬しました。
・郡山市青少年会館・ビッグパレットふくしま・会津若松市河東総合体育館・会津若松ふれあい体育館の4ヶ所すべてをうかがいました。規模の大小もありますし、施設の内容も違うため、その現状に即した管理運営がなされています。しかし基本的には食事が弁当支給のために野菜不足であることや、これからさらに夏に向かっていくわけですが、物資は3〜4月の寒い時期に集められたものであるため、夏向けのニーズにどう応えていくかという課題もあるようです。たとえば毛布ではなくタオルケット、衣服もTシャツなどが必要になっていくでしょうし、食事も軽めのものが好まれていくでしょう。それから水の消費が格段に増えているということで、対応に気をを配っておられる様子がうかがえました。

そしてそのまま帰路についたのですが、ボランティア活動をした場合、手続きをすれば高速料金が無料になるため、それを利用させていただきました。帰ったら日が変わっていて、泥のように眠りました。

ボランティアに来た人たちは、朝は勝手も分からず少し不安な様子なのですが、夕方に作業を終えて帰ってくると、皆一様にすがすがしい表情に変わっています。少しはお役にたてたのかなということや、ありがとうと言ってもらえることの充実感などがそうさせるのでしょう。

私としても、一国民として東日本大震災の復興のためにほんの少しでもいいから関わりたいという思い、平成16年の台風23号台風で被災した舞鶴に駆けつけてくれたたくさんのボランティアからいただいたご恩を今回の機会に少しでもお返ししたいという舞鶴市民としての思い、そしてこの国難ともいえる未曾有の大災害に、政治を志す者として現地現場で感じたことを体に刻み込ませるという意味合いなど、様々なことを念頭に置いて単身で福島に向かいました。言葉では言い尽くせない体験ができたと思います。

JUGEMテーマ:2011 地震(東日本大震災) 

| あんしん・あんぜん | 2011.06.13 Monday | comments(0) | trackbacks(0) |
ボランティアに参加しました。(photo album)

ボランティアセンター受付
福島県いわき市のボランティアセンターにて。受付の時間帯になるとどこからともなくたくさんのボランティアの人たちが集まってきました。

がれきの片づけ(1)
ここでは海砂や石、瓦、木くず、金属、プラスティックなどがごちゃ混ぜになっているところを掘り起こして分別し、集積所に運搬する作業でした。十数名で取り掛かるのですがやってもやっても全然減りません。

がれきの片づけ(2)
スコップでトレイにあけ、ふるいにかけるようにして砂だけを下に落とします。砂は土のうへ入れ、残りはさらに手作業で分別します。

がれきの片づけ(3)
砂をふるうとこんな感じです。いろんなゴミが混載しています。埋め立てにすると膨大な量になりますので、少しでも分類する努力をボランティアにも求められるのだと思います。場所によっては各家庭の大切なものや遺品を見つけ出す意味もあるのだとか。

がれきの一次集積所
それら分類したものを、仮置き場まで運搬します。場所は市内各所のグランドなどですが、私の身長の何倍もの高さにまで積み上げられており、圧倒されました。これからまだまだ搬入されるがれきは増えていきます。

被災状況(1)
津波によって押し上げられてそのまま移動し、水路の上に乗ってしまっている住宅。

被災状況(2)
漁船も陸上に残されてしまっています。

被災状況(3)
こちらは被災されたコンビニです。画像の向こう側が海ですが、ごっそり壁ごと押し流されてしまいました。しかし元気に店頭で営業されています。そのたくましさに救われる思いでした。

被災状況(4)
地震と津波のあまりの爪痕の甚大さに言葉を失いました。ここは海水浴場の地域でもあり、おそらくたくさんの世帯が生活を営まれていたはずです。たくさんの犠牲者が出てしまった地域です。

被災状況(5)
海から山に向かって撮影しました。がれきはきれいに片づけられたのではなく、山すそに津波の力で押しつけられ、盛り上げられていました。すべてを文字通り根こそぎ奪っていったのです。

避難所にて
京都府の職員が応援に入っている避難所を訪れました。郡山市青少年会館・ビッグパレットふくしま・会津若松市河東体育館・会津若松ふれあい体育館の4ヶ所です。
このビッグパレットでは現時点で1,000人近くの被災者が身を寄せており、交番や役場、陸上自衛隊による浴場、洗濯スペース、もちろん居住スペースも含め、一つの町のようでした。ボランティアによるお店も出ていて、喫茶コーナーでは京都府から持ち込んだコーヒーやお菓子などによって運営されているそうです。画像は、ラジオ放送局の現地スタジオの上に掲げられている京都府の職員さんによる手作りの看板です。京都府の職員さんたちの作業の合間の心配りなんですね。

仮設住宅
このビッグパレットには福島原子力発電所の事故による避難区域である富岡町と川内村の人々の避難所となっています。いつ帰ることができるのか、まったくめどは立ちません。隣接地には仮設住宅がすでに整備されており、徐々に入居が始まっています。

JUGEMテーマ:2011 地震(東日本大震災)


| Photo Album | 2011.06.12 Sunday | comments(0) | trackbacks(0) |
もう笑うしかない。
菅内閣の内閣不信任案が否決されました。否決されることは何となく予想していましたが、あれほど息巻いていた民主党の国会議員の事前の様子を見聞きしていた国民としては、これほど大差がついての秘訣は予想できなかったと思います。もちろん私もその中の一人ですが。

政治不信が叫ばれて久しいですが、私はこれほど一国のリーダーに対して落胆したことはありません。民主党の70〜80人もの国会議員が賛成に回るとの報に、採決の直前になって泣きを入れました。後で議事録を見ますと、四国のお遍路さんの話まで持ち出して辞める理由の一つのように言っておられるようなので、怒りを通り越してあきれるほかありませんでした。そこまでして権力にしがみついていたいか?多くの国民がそう思ったことでしょう。

またその泣き入りで反意し、賛成すると思われていた議員さんたちが軒並み反対や退出に回り、聞けば結果的に民主党で賛成したのはただの二人だとか。情けない話です。『いやだめだ。今すぐ辞任を表明してくれ。そうでなければ民主党は持たない。』なぜそう言えなかったのでしょうか。
そして取って返して菅総理は来年まで続けるかのような話をし始め、一体どこまでちゃんと裏取りをして採決に臨んだのか、一国のリーダーの進退を決めるのに何を根拠にして判断しているのか、さっぱり分かりません。

目の前で起こった事実だけをとらえれば、辞めたくない総理と、解散総選挙をしたくない民主党議員の本音がかみ合ったとしか思えないのです。
当初いっていた辞任の時期について、『原発に一定のめどがついたら』というのはどうやら原発が冷温停止状態になることということですが、それは行程からいって来年になることらしく、言葉巧みにその場しのぎをした首相と、言葉に踊らされた民主党国会議員。しかも国会の会期を12月まで延長すれば、『一事不再議』の原則にのっとり再度の不信任案は提出できないことになり、ここまで読んでいたのかどうかは知りませんが、もしそうなら何とも巧妙です。
後もうひとつ、菅総理は自分が辞めた後には若い人に、と言いました。これは鳩山さんや小沢さんにはバトンタッチしない、という意味にも取れますね。二人へのあてつけでしょうか。

いずれにせよ、一度言った早期辞任の言葉を違える発言をし始めた菅総理に対する身内・民主党からのハレーションが大きくなり、『予定終了』で8月頃の退陣になりそうだという記事を先ほど目にしました。しかし一連の動向を見ていて、民主党政権はどうやら政権交代をした当初から末期症状であり、今まさにそれが表に出ているだけで、トップが変わったからといっても民主党の体質そのものが変わらないことにはそのトップも自身の持ち味を発揮できないような気がします。

日本もいよいよ混迷を極めてきました。
そりゃ混迷もします。すべての要に政治はあるのですから。

JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政 

| 国際・政治 | 2011.06.05 Sunday | comments(0) | trackbacks(0) |
 
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