京都府議会では現在、平成19年度決算の審査を特別委員会で行っています。今週は総務部・教育委員会・建設交通部・人事委員会・監査委員会の審査が行われました。
私たち京都創生フォーラムからは、私と上田秀男さんが委員になっているのですが、上田さんは副委員長を務められているため原則質問はしないことになっており、会派の持ち時間はすべて私が使わせていただいています。とはいうものの質問と答弁を合わせて12分くらいでして、委員長にいつも『岡本委員に申し上げます。会派の持ち時間は終了しておりますので手短におまとめください。』などとしょっちゅう注意されています。(苦笑)
総務部では財政、特に基金の運営のことを中心に質問し、人事委員会ではワーク・ライフ・バランスに対する考え方について、建設交通部には除雪の品質管理や府道の1.5車線化の工事の進捗についてそれぞれ質問しました。特に気持ちをこめて質問したのは教育委員会の所管事項についてです。
教職員組合、あるいは組合員は特定のアイデンティティを前面に出した政治活動を行っているが、私はそれを好ましくないと考えている。それはなぜかというと、多かれ少なかれ、その先生の政治的思想が授業や学校運営の中で影響が出るものだからだ。良しにつけ悪しきにつけ学校の先生とはそういうものだと思う。したがって学習指導要領の枠組みを逸脱する内容の政治活動については、極力控えるべきだと思うし、府教委としてもそういう指導をすべきと考えるが、どう思うか。
そう質問すると遠くの席がざわめきだして、なんだか強い口調で文句を言っているのが聞こえてきます。きっと共産党さんでしょうね。答弁は言葉に気を配りながら慎重な感じでしたが、おおむね私の意見に異論はなかったように思います。かつては国歌斉唱の時には着席することもあったとか。そこで、ではその分かりやすい事例で言いましょうと、国歌斉唱のことを事例に出してさらにこう言いました。
私たちは、折に触れて学校の行事に呼んでいただいて式典に参列している。すると国歌を斉唱するときには非常に声が小さいので、『なんだ元気がないなあ、歌うのが恥ずかしいのかなあ。』と思っていると、今度は校歌斉唱の時には元気いっぱいに大きな声で歌っている。これはまさに学校の先生の政治的思想が学校の授業に影響が出ている典型的な事例ではないか。すなわち、校歌を教えることには異論がないからしっかりと教えることができ、国歌は教えたくないから教えない、またはさらっと流してしまい、結果として子どもたちが国歌を歌えないということではないか。こういうことがいろんなところで出てしまうから、組織だって学校教育から逸脱した内容の政治活動をすることは慎むべきだと言っている。教職員組合にきちっと指導していただきたいがそれは可能か。
そう言うと、組合に対する指導ということはしにくいが、個人としてはしっかりと指導していく、という内容の答えが返ってきました。また議員席のどこからかで『生徒が歌おうが歌うまいが個人の自由だ。』と聞こえてきます。そこで、
最後に言っておくが、生徒の政治的信条は自由だが、教員は違う。教員は職務として、学習指導要領の内容に沿ってしっかりと授業をしていただかなければならない。学習指導要領の中には、国歌をしっかりと教えなさいという内容が盛り込まれているのであり、教員である以上は自分の政治的信条がどうであれ、その決まりに則って歌えるように教えなければならないのだ。しっかりと指導していただきたい。
この日の書面審査では、私が口火を切ったためか、その後も組合に絡んだ質問がいくつか出てきました。ご自身の労働環境を向上させるために活動することは何ら否定しませんが、学校という閉ざされた空間で、私たちの知らないところで政治活動をすることは許されません。そういう危険性を、今もはらんでいる組織ではないかと私は危惧しています。内心は多くの人たちがそうとらえているのが現実なのですから、教職員組合は、そう思われないようにしっかりと自重していただきたいものです。