我が子の通う幼稚園で、運動会に続く秋のビッグイベント第2弾、音楽発表会がありました。
会場に着くと、もう座るどころか立つ場所さえもありませんでした(苦笑)。なんでも場所取りのために朝4時とか5時とかから並ぶそうです。この寒い中ご苦労様ですが、自分の経験から言っても大抵並んでいるのは、奥さんに尻を叩かれてイヤイヤ行かされている父親でして、心中お察し申し上げる次第です(笑)。もちろん中にはお母さんもいらっしゃるのですが。
結局一番前の横の柱の隅っこのわずかなスペースで2時間半ほど立ちっ放しでした。腰がしんどいです。
子供たちは力いっぱい元気に演奏したり歌を聞かせてくれました。年少さんはかわいらしく、年中さんはしっかりと、そして年長さんは風格さえ(?)漂っています。
うちの子も頑張っていました。今までは練習でできていたことでも本番になるとやらなかったりしていたのですが、この日のヤツは今までとは一味違います。しっかりと集中できていたので、かみさんの頑張りや先生の様々な工夫が子供をうまく引っ張っているんだなと思いました。
また終盤で疲れていたらしくボヤッとしていたのですが、隅っこにいる私を見つけるとニカッと笑って元気に歌いだしました。私も歌ってやらないといけないし(もちろん口パクで)、ビデオも撮らないといけないし、手ブレを押さえるのが大変でした(苦笑)。
親が見に来てくれているということが子供にとっては何よりもうれしいことなのでしょう。いじらしいものです。
最近はなるべく行事の少ない園を探して入園させる親が結構いると聞いていますが、悲しい話です。親にとっても『お父さんお母さん』と言ってまとわりついてくるのは今のうちだけで、そのうちうっとうしがられるに決まっているのですが。
この日は他にもちょっと驚いたことがありました。
総合学習で幼稚園に職場体験をしていた白糸中学校の生徒さんたちが、見学だけでなく保護者の発表にも加わっていっしょに演奏や歌を披露してくれたのです。クミ先生の話では、『私たちも一緒にやってもいいですか』と進んで申し出てくれたそうです。職場にもそう言いたくなるような土壌があったのでしょうし、試験中にもかかわらず貴重な休みの時間を裂いてでも参加したいと言った生徒さんたちもたいしたものです。
しかし子供たちのパフォーマンスを見ていると、子供の可能性は計り知れないものがあるとつくづく感じます。
年長さんの歌や鼓隊の演奏を聴いて思わずあふれる涙をまわりに気付かれないようにするのが大変でした。中学生たちも感動して泣いていました。たぶん他の保護者の皆さんも同じだったと思います。アレを見て感動しないヤツは人間ではありません(いやマジで)。
私は今のゆとり教育、とりわけ総合学習というものに否定的な考えを持っています。
『生きる力を育む』ための総合学習。では今の社会の中で『生きる力』とはどういうものか考えたときに、総合のわずかな時間で何が育つのでしょうか。例えばたった2日間、このような体験学習を行なったとして『生きる力』へのいくらかでも手助けになったのでしょうか。受け入れてくれた企業や苦心している学校には申し訳ないけれども、それはちょっと考えにくいと思います。
私の考える『生きる力』とは、『いやなことでも逃げない』ことではないかと思うのです。
誰でも勉強が好きなわけがありません。自身の経験からしても、義務教育で習ったことで役立っていることは本当に少ないです。しかし『最後までやり切れた』という思いは今の生活の中での礎となっていることは間違いありません。
将来どんな大人になってどんな職業に就いたとしても、壁には必ずぶち当たります。その時に立ち向かえるかどうか、いやな勉強を通じてまさにそのことを学んでいるのではないでしょうか。
私が否定的に考えている総合学習という授業がきっかけでこの日幼稚園に来てくれた生徒さんたちは、良い経験をされたことでしょう。この中から将来、幼稚園や学校の先生になる人が出てくるかもしれません。
そう捉えると、総合学習もちょっとは良いかなと思ってしまいました(苦笑)。