子供が風邪をひいています。もう1週間くらいになるでしょうか。
ここ数日は咳がひどくなっていて、1日中コンコンやっているので、ついにかみさんが切れました。
(キレた理由・その1)
幼稚園に行ってもらわないと、こんな怪獣あるいはハリケーンのようなクソガキを1日中相手にするのが何日も続くと耐えられない。
(キレた理由・その2)
病院に連れて行っているにもかかわらず、その薬が効かない。夜間の救急をはじめ何度も連れて行き、『夜中も咳が止まらないのでよく寝る薬を』とお願いしているにもかかわらず出してくれない。
(キレた理由・その3)
寝ているときに咳をするため、つばおよび病原菌が直接自分の顔にかかる。
怒りの原因は、子供にも、もちろん私にもありませんし、『チビの咳よりお前の声の方がよっぽど耳に障るのだが。』と言っても取り付くしまがありません。
子供は小さいなりに咳をしちゃいけないと、けなげに涙を浮かべながら我慢をしていたようです。それでもどうしても咳が出てしまうときには母親の反対側、つまり私の顔に向けて咳をしていました。つばが容赦なく飛んできます。
いいんだ、いいんだよ息子。こっちの布団に入ってきて寝なさい。お父さんが全部引き受けてやるよ。
ところが朝、気がつくと子供は母親の方に行ってくっ付いて寝ているのです。いわれのないことで怒られているにもかかわらず、それでもひどく怒られたことが悲しくて、母親のことが恋しくて布団にもぐりこんだのでしょう。
これが逆に私が怒ったのだったらどうだったでしょうか。きっと数日は口を利いてもらえなかったかもしれません。
こういう何気ない日常の中でも、父親は母親にはなれないんだなぁと思い知らされます。母親と子供には、言葉では表せない特別な絆で結ばれているような気がしてなりません。
今朝の新聞で、NHK『おかあさんといっしょ』で体操のお兄さんだった佐藤弘道お兄さんのインタビュー記事があり、公園に遊びに連れて行っても子供そっちのけで携帯をいじっているたくさんのお母さんのことを嘆いておられました。もっと大人は子供たちと向き合わないと、と強く主張されており、まったくそのとおりだと思いました。
今の行政の施策は相対的に、親と子供を引き離そうとしています。
子育ては大変でしょ、だから施設に預けてください、施設があなた方の代わりに子育てをしましょうと言わんばかりです。
私はそれは間違っているのではないかと思います。
たとえ共働きでも、子供を育てるのは保育所でも幼稚園でもおじいちゃんやおばあちゃんでもなく、父親と母親でなければなりません。確かに子育ては大変です。しかしそれは家庭を持ったならば当然避けることはできないんだとどうして行政が教えられないのでしょうか。家庭が子供としっかりと向かい合い、その上で保育所や学校などのサポートがあり、地域のコミュニティがあって、子供は健全に育っていくのではないでしょうか。
子育ての主役は家庭です。そこにスポットが当たらないかぎり、学力低下や犯罪の低年齢化・残虐化、ニート、少子化等の問題は解決できないと思います。