私立大学が生き残りをかけて独自の様々な取り組みをされているようです。どうしてそうせざるを得ないようになってしまったかというと、少子化によってお客様(学生)の数が絶対的に減少し、ただせさえ合格しても入学してくれるかどうかは分からないし、さらに少しでもまともな(つまり一定の学力と人間性を備えた)お客様を得ようとするならば、大学側も学生さんたちにとって魅力的な経営を行っていかなければならない、というわけなのでしょう。
その大学の関係者の中では、まことしやかに『2006年問題』というものが持ち上がっているそうです。
今の学習指導要領、つまりいわゆる『ゆとり教育』なるものを受けてきた世代が大学の受験をし、実際に入学してくるのが2006年というわけです。このゆとり教育による小中学生の学力の低下が叫ばれて久しいですが、受け入れる大学側には何の方策も立てられてはいない、本当に今のままの体制で一定の高等教育を備えた学生たちを社会に送り出すことができるのか、あるいは大学が尻拭いをさせられるのではないのか、という危惧を抱いていらっしゃるわけです。よってこれからの大学は高校に対する指導・教育も考えていかなければならないと、ある大学の学長さんがおっしゃっておられました。
同じことを高校は中学校に対して思っています。田舎の場合、そこそこの学力を持った学生はおおむね公立高校に入ってきますが、ある高校の校長先生によりますと、最近はその中に分数もまともにできない生徒が試験を通って入学してくるんだ、と言って嘆いておられました。
一方、教育委員会に学力の低下について聞きますと、『学力の低下はない。試験の結果からもそう出ている』と必ずお答えになります。多分どこの教育委員会でもそうなのではないでしょうか。私たち外部の感覚と、教育委員会、そして現場、それぞれのこの温度差は今に始まったことではありませんが、教育の問題を考えるとき、いつもこういうジレンマを感じます。