京都市・乙訓地域を拠点に日夜奮闘中! 岡 本 忠 藏 ( おかもと ちゅうぞう )
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| - | 2019.05.08 Wednesday | - | - |
東寺百合文書。
先日、『東寺百合文書』なるものがユネスコの世界記憶遺産に日本から推薦される運びとなりました。新聞やテレビなどでも各紙・各局から報道されて、所蔵している京都府立総合資料館でも喜びやあわただしさなどを感じておられるようでした。この件が主たる目的ではなかったのですが、『よかったらぜひ』と言っていただいたので大喜びで伺いました。下記のリンクは報道の一部です。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130521/k10014737871000.html
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130521000183

h250523:東寺百合文書006
東寺百合文書とは何でしょうか。京都には『東寺』という大変有名な名刹がありまして、江戸時代に加賀百万石の5代藩主、『前田綱紀(まえだつなのり)』というお殿様が、当時の東寺にあった文書の書写事業を行って、そのお礼として百合の桐箱を寄進し、のちのち当時の文書がこれに納められて保管されてきたということから由来します。実際には100ではなく93箱なのだそうです。

h250523:東寺百合文書001
所狭しと積み上げられたこの桐箱そのものも国宝です。この中に室町時代からの文書が無造作に押し込まれてぎゅうぎゅう詰めになっていたということです。何百年も放置されていた書類を江戸時代のどこかの時期になって急に片付けた、という経過が垣間見えます。

h250523:東寺百合文書002
ふたの裏側にはこんなふうに、なぜこの桐箱があるのかという由来や日時などが添え書きしてありますね。ひと箱ひと箱にこうして書いてあるのですが、ちょっとづつ文言が違っているということです。

h250523:東寺百合文書003
それで東寺百合文書の一部を見せていただいたのですが、その内容は本当に多岐にわたっていました。東寺は全国に荘園をもっていて毎年日本各地から上納金(年貢?)を集めており、その目録だったり、この画像は会議の議事録です。いろんなお寺のお坊さんたちが集まって会議をし、右半分のようなことを話し合われたわけですが、それを左半分のところに参加したお坊さんたちの署名が直筆で書き込まれています。一番左の数行は欠席したお坊さんの名前です。こうすることによって『俺は聞いていない』とか『承知していない』という事態を未然に防いでいたようだ、とのことです。
東寺百合文書の特筆性は、当時の生活体系やガバナンスがどうだったか、ということを伺える資料がたくさんあることです。ですから『この頃にこんなことをしているということは、きっとこうだったのかもしれないな』という思いを巡らせたり想像力をかき立てられたり、現代と重ね合わせて『1000年たっても人間っておんなじことしてるなー』と思わず苦笑いしたりするのです。

h250523:東寺百合文書007
こちらは借金の出納帳。室町時代のことですが、東寺に足利将軍がやってくるということで、考えられる最大のおもてなしをするために大改修したり料理やらお土産やら、しかも将軍様だけでなくお付きのご家来衆にも相応の対応をしなければならないので大変です。ですのでいろんなところからお金を無心して多額の借金をしました。その借金の額と返金額の突き合わせを延々と行っており、この巻物だけで実に37メートル!さらにこの件での返済はこれだけではないということで、どんな借金だと呆れてしまいました。1000年も昔のことですので私には何ら関係ありませんが・・・。

h250523:東寺百合文書004
これは織田信長がはじめて上洛した時、東寺に対して出した公文書です。『禁制』、つまり家臣に対して、『東寺にしてはならないこと』を3つ知らしめ、東寺にその証明をしているのです。
(1)軍勢が東寺のものを盗んだり殺生をすること。
(2)東寺の敷地内に陣を置いて火を焚くこと。
(3)東寺所有の敷地や山で木や竹を伐採すること。
すごいですね。逆にいえば、一般的には多少は殺生してもかまわないし、ひとの家に勝手に入り込んで陣を張ってもかまわないし、ひとの敷地に入って燃料などの調達をしてもかまわなかったという価値観が戦国時代の大名の常識だったということですから。大金を信長に払ったのかどうなのか、とにかく東寺は信長にとりいって軍勢から身を守ることができたということです。

h250523:東寺百合文書008
こんな日常的な文書や刺激的な文書が混載して詰め込まれていたことも驚きです。上の桐箱の中の書類を取り出して、修復したりするなどして大切に保管すると、下の新しい桐箱くらいのスペースが必要なんです。いかに粗雑にぎゅうぎゅうに押し込められていたかが伺えますね。後々国の重要文化財に指定される文書なのに。

h250523:東寺百合文書009
発見された当時の写真です。防火のため周りが池になっているところに倉庫があって、その片隅に無造作に積み上げられていたのだそうです。明治時代に、そういう歴史的な文書や物を整理して必要なものはちゃんと保管しようという国の動きがあって発見されたということです。当時は文明開化の時代、日本の古き良きものが次々と失われつつある中で、時の明治天皇の英断だったようです。

h250523:東寺百合文書010
こんな素晴らしい文化・歴史が満載の京都府立総合資料館の外観です。築50年ほどたって老朽化が著しく、また歴史と文化をかき立てるには不釣り合いな無味無臭の建物だと思いませんか?

現在はこの府立総合資料館・府立大学・コンサートホール・そして府立植物園の一帯を北山文化ゾーンと定め、それぞれバラバラではなく一体的なとらえ方をして多くの方々に親しみを持ってもらえる空間となるよう戦略を練っているところです。その中で総合資料館は建て替えを含めて検討されていて、所蔵しているだけでなく多くの方にこうした貴重な資料に触れていただく仕掛けが必要だと考えています。

JUGEMテーマ:歴史 

| すべての根幹は教育にあり! | 2013.05.24 Friday | comments(0) | trackbacks(0) |
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