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| - | 2019.05.08 Wednesday | - | - |
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平和と防衛シンポジウム。
私が所属している京都府防衛協会青年部会が主催して、京都市内で防衛シンポジウムが開催され、会場となった京都産業会館のホールが満席になるほど盛況でした。
そのメインの講師を務めていただいたのは、ビートたけしさんのTVタックルなどでおなじみの青山繁晴さん。テレビでは非常に知的で冷静な感のある青山さんですが、講演での青山繁晴さんはまったく違いました。 とにかくパワフルです。開口一番『みなさんこんにちは!』の時の力強さで、あれ、テレビと違う、と会場のほとんどの人が感じたのではないでしょうか。真剣に、時には泣きそうな表情で、唾を飛ばしながら、時には舞台から会場におりつつ訴えかけられ、その迫力に私も話に引き込まれてしまいました。 今日していただいた話を一言で言うと、自分の身は主体的に自分で守るべきものだということだと思います。日本は平和に慣れ過ぎて平和ボケをしているとよく言われますが、日本は本当に平和な国なんですか?と青山さんは問いかけてきます。北朝鮮による拉致問題を例に挙げて、かなりの数の日本人が拉致され、誘拐されたじゃないですか。それは誘拐犯がお金目当てに連れて行ったんじゃない、北朝鮮の国家の意思で拉致したんじゃないか。そういう危険が目の前にありながら目をそむけてきただけだ。どうしてそうなるのか。それは、すべてを他人任せにしてきたからだ。国家の安全保障をアメリカにゆだねてきたから、平和を他人任せにしてきたから平和ボケしてしまったんだ。決して日本は平和でもなんでもないのに。 私もその通りだと思います。 日本は憲法で国民主権が約束されていますが、このことのもたらす意味は何でしょうか。国民主権とは、言うなれば国民が主人公だということです。日本の主人公は、天皇陛下でも内閣総理大臣でもない。まぎれもなく国民であることは言うまでもありません。それはつまり、国民がすべてにおける最終責任者であることも忘れてはないのです。 例えば政治で悪法ができてしまった。国が借金まみれでどうにもならなくなってしまった。その場合、その責任はだれが取るんでしょうか。とんでもないことをしてくれた、首相はやめろ!の大合唱となって辞任に追い込まれたとして、やめても今の状況はそのまま継続されてしまいます。その法律や借金地獄に国民は縛られたままなのです。つまり責任を最終的に取らされるのはやっぱり国民なのです。 政治的な判断として価値観や考え方はいろいろあると思いますが、決まったことの影響は、良くも悪くも自分たちに返ってくるのだということを、私たちはもっと自覚しなければならないと強く感じました。 シンポジウムが終わってから青山さんにご挨拶に伺いました。 舞鶴から来ましたというと、 『エルマールって知ってますか?』 と尋ねられたので、 『ええ、舞鶴火力発電所のPR館ですよね。私の家からもすぐ近くです。』 と答えました。そうすると、 『エルマールの内装なんかはうちのが手掛けたんですよ。』 つまり奥様がということなんですが、思いがけない舞鶴とのご縁にとても驚きました。 あの地域の活性化のためにエルマールさんにもかんでもらって地元の方々が頑張られることになっているので、私も一生懸命に応援しようと思っているんですよと話したらとても喜んでいただけ、激励していただきました。 講演が終わったらそのまま控室に戻られるのが普通だと思いますが、すぐにホールに出てこられて、書籍の販売のところで多くの人たちにお礼を言うなんてなかなかできないことです。発言は過激ですが、誠実で純粋な人柄がよく伺え、非常に気持ちが良かったです。 JUGEMテーマ:国防・軍事 コメント
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